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島根県松江市佐草町に鎮座。祭神は須佐之男命と奇稲田姫と大己貴神の三神。相殿に青幡佐久佐比古命(あおはたさくさひこのみこと)を祀る佐久佐神社がある。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」の古歌で有名である。出雲神話により、縁結びの神として信仰が厚い。『延喜式』神名帳には佐久佐神社とあり、代々の宮司も佐草氏である。佐久佐日古は地主神であるという。
大国主命は因幡の八上比売をめぐって兄たちと妻争いをする。因幡の菟神を助けて予言通り八上比売を得るが、そのため兄たちの恨みを買い、だましうちにあって殺されてしまう。しかしそのたび母神である御祖(みおや)命に助けられ再生する。八上比売は子を産んで出雲にやってくるが、正妻の須勢理比売(すせりびめ)を畏んで、その子を木の俣に刺し挟んで因幡に帰ってしまう。
大国主の妻である、八上比売の八上も、沼河比日売(ぬなかはひめ)の沼川も、日本では数少ないヒスイの原産地で、この婚姻譚の背景には出雲とヒスイの原産地との交流があったのではないかとの説がある。
鹿児島県大隈諸島に属する島。屋久杉で知られる。
縄文時代の日本に行った虹人は、屋久島の樹齢2000年を越す縄文杉を思い、人間など小さな存在にすぎないと思った。
エレミアがヤハウェに見せられたUFO。オレンジ色に燃えるフライパンのような金属製の飛行物体。聖書の解釈ではバビロニアの比喩であるとされる。
『世界残酷物語』の製作者。
京都市東山区祇園町北側に鎮座。斉明天皇2年に須佐之男の神霊を祀ったことに始まる。のちに、神仏習合思想により須佐之男は祇園精舎の守護神である牛頭天王と一体視され、「祇園社」「祇園感神院」などと称していたが、神仏分離にともなって、明治4年「八坂神社」と改称する。現在も各地に約三千の分社がある。
古代インド以来、威力ある神として崇められたヤクシャが仏教にとり入れられたもの。北方に位置する毘沙門天の眷属。
クベーラに仕える夜叉や阿修羅の語源は『水に仕えるもの』。
神武天皇東征の際、熊野、吉野を越えて大和へ入ろうとする天皇の先導をつとめたとされる鳥。八咫烏は山城の鴨(賀茂)県主(かものあがたぬし)の先祖とされており、カモ系列神社の社伝によると、祭神・建角身(たけつのみ)命は八咫烏とされる。(建角身命参照)
四本の親柱の前後にそれぞれ二本、合わせて八本の控え柱を立てた一重の門。出雲大社では、南の瑞垣の正面中央に位置する門で、本殿に参進する入り口。寛文の造営で、瑞獣と流水文など左甚五郎の作と伝えられる美しい彫刻がある。
旧約聖書の神。聖四文字(YHWH)の四つの子音から成る語。ユダヤ教では神名を唱えるのを避け、多くの場合「アドナイ」(主)と呼び、やがて正式な読み方が忘れられた。母音をつけたエホバという呼称は、16世紀頃以来のキリスト教会の誤読に基づくもので、現在ではヤハウェと推読する。
シナイ山でモーゼが神に名を訊ねると、神は『在って、在る者』だと答えた。それがヤハウェという名である。
虹人は、牡牛の一族が龍一族の失敗を経験に生かし、人間を支配するためにヤハウェという象徴を捏造し、不滅の存在として共同でヤハウェを演じたと考えた。
『竹内文書』の中で足嶽山のピラミッドを作ったとされる天皇。
非常に広い家の意。
『山城国風土記』逸文「賀茂神社縁起」では、玉依日売が産んだ別雷神の父親が誰か分からないため、祖父の建角身神は宴を開き、別雷神に杯を持たせ、父と思う神に飲ませようとする。が、別雷神は天に向かって祭りをして、八尋屋の屋根を突き破って天上に昇って行った。(別雷神参照)
東は、この伝説が、波の穂を踏んで常世国に渡った御毛沼命と共通していることと、八尋屋の音が、『竹内文書』にピラミッドを建設した天皇として記されている「弥広殿作尊天皇」と一致することを指摘し、八尋屋をピラミッドと考えた。
津軽の山の中で東と対決した髭面の男。実は南波の部下。
富士山東麓にある湖。富士五湖の一つで、五湖中最東端に位置する。湖の形が牛が伏せているように見えることから「臥牛(がぎゅう)湖」ともいう。
虹人は初め山中湖と河口湖の中間地点で地下王宮を探したが見つからなかった。
『魏志倭人伝』にみえる倭の諸国中最大の国。2〜3世紀の日本列島の中にあった国と考えられ、その所在地は、北九州とも畿内大和ともいわれている。
『東日流外三郡誌』では、紀元前3世紀、畿内に邪馬台国が勢力を振るっており、そこへ出雲を滅ぼした神武率いる日向軍が侵攻してきた。敗れた邪馬台の国王・安日彦と長髄彦が津軽に落ちのびたという。
奈良盆地南東部の畝傍山、耳成山、天香久山をいう。
『サンデー毎日』の「大追跡日本のピラミッド」でピラミッドではないかとしてレポートされた。
『真説・古事記』の作者。東海出雲説を唱えた。
記紀の須佐之男神話にあらわれる怪物。大蛇の目は酸漿のように真っ赤で、八つの頭と八つの尾を持ち、体には日陰のかずらや檜、杉が生え、長さは八つの谷と八つの峰にわたっており、腹は常に血でただれていたという。
一般的には、櫛名田毘売はその名前からして水田を象徴した女神、舞台となっている斐伊川は古来氾濫を繰り返してきた暴れ川、蛇体で現れるものに水の神があることは良く知られており、ヤマタノオロチは斐伊川を象徴した水神であるとされている。その水神をスサノオが退治するというのは、新たな英雄神が平和な秩序を実現したことを示すとされる。
また、ヤマタノオロチの尾から剣が出現したことも、出雲の産鉄の業と河川との関連を反映する。鉄を分離するのに河川を利用するので、川水は赤濁し、これがオロチが切られた時に「肥河血に変わりて流れき」と記されているのに表れているとする。(十拳剣参照)
1893-1965 山口県萩市の醤油醸造元の長女として生まれ、十五歳の時に教会の荘厳さに感動し、横浜の共立女子神学校(現フェリス女学院)に入学。卒業後日曜学校を開設して伝道と貧民救済にあたり、また「婦人参政協会」を設立して女性の社会的地位向上に努めた。その後竹内巨麿と出会い本格的な神代史研究者として歩み始める。昭和12年『光は東方より』を発表する。(光は東方より参照)
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車力村にある松。義経一行が秀栄を頼って十三湊へと向かっている途中で襲撃にあい、義経を狙った矢が馬に当たって、暴れ狂った馬のひずめの痕が松の根元に残ったと伝えられている。
ユダ族出身のダビデがユダ族を中心とする南方諸部族を糾合して建てた古代イスラエル人の王国。
オープンしたてのラーメン屋で、サービスだと聞かされて、茹で玉子を、東は四個、純は六個食べた。
トルコ西部のアナトリア高原を水源とし、シリア北部を通りってイラクのクルナでティグリス川に合流しシャット・アルアラブ川となる全長2800kmの川。ティグリス・ユーフラテス両河流域のメソポタミアに人類最古の文明が繁栄した。当時は海岸線が今よりも内陸に入り込んでおり、ティグリス・ユーフラテス両河は合流していない。
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優紀の部下の車。弘前から南波を尾行し、荒磯崎神社で南波と合流した虹人を盗写した。南波は東京に戻る虹人を横浜ナンバーのBMWが尾行すると考え、部下に命じて、BMWがどこに戻るか突き止めさせた。
諏訪では優紀が乗り、虹人たちの尾行と順子・奈緒美との連絡に使われた。
『エレミア書』に出てくるユダ王アモンの子。
義経が大陸に渡ってジンギス汗になったとする説。『東日流外三郡誌』には、義経主従十七名が安東水軍に送られて十三湊から船出し、モンゴルに渡ったという二、三行の記事があるだけである。虹人は『東日流外三郡誌』のポイントは義経だという。絶対に義経ジンギスカン説が実証されるという確証がない以上、虹人なら記述を避けるという。実際に『東日流外三郡誌』に義経に関して中途半端な書き方がされているのは、作者はよほどのバカか事実なんだろうと東に話した。
粟を七斗借りたという義経の借用書が金木町に残っており、地元のNHKが取材したことがある。
衣川合戦で義経は戦死せず、青森県東津軽郡三厩(みんまや)村から蝦夷島に渡ったとする伝説。これまでは八戸、青森、竜飛崎のコースが有力だったが、最近は八戸、弘前、金木、車力、十三湖のルートが注目されているという。
インドのリンガ信仰につきももの女陰。
死者が住むとされる地下の国。「ヨミ」は「ヤミ(闇)」や「ヤマ(山)」と類義の語。漢語で「黄」は土を表し、黄泉は「地下にある泉」の意。
この世と黄泉の国との境界。
虹人は、地底湖に通じる広い斜面のことだと考えた。