わ
わ |
賀茂別雷神社(上賀茂社)の祭神。『山城国風土記』逸文には以下の話がみえる。賀茂伝説によると、玉依日売が賀茂川のほとりで、川上より流れてきた丹塗矢(にぬりや)をひろい、家の寝床の近くに然して挿して置くと、みごもって男子を産んだ。その子の成人式の時、玉依日売の父・賀茂建角身(たけつのみ)命が、八尋屋(やひろや)を造り、多くの扉を堅く閉めて、たくさんの酒を醸造し、神々をつどい集めて七日七夜の宴をはった。そしてその子に「お前の父と思われる人にこの酒を飲ませなさい」と言ったところ、酒杯をささげて天に向かって拝礼し、屋根を突き破って昇天した。そこで外祖父の名によって、賀茂別雷(わけいかずち)命と名付けた。丹塗矢は、乙訓の郡の社(乙訓神社)にいる火雷(ほのいかづち)神であるとされる。
これと同様の伝承が松尾大社の縁起にもあり、これによると別雷神の父は、松尾大社の祭神は大山咋(おおやまくい)命であるとされる。大山咋命は鳴鏑(なりかぶら)の矢を持つ神であるが、鳴鏑の矢は本(もと)の部分に赤うるしを塗るため丹塗矢に同じとされるためである。
建御雷神と別雷神とは、建と別の違い、祀られている神社の違いから一般には別神と考えられている。しかし虹人は、建御雷神と別雷神とが同一神である可能性を指摘している。(建御雷神、玉依毘売参照)
南波が覚えていた古いTV番組。
和田長三郎から数えて四代目。損傷の激しい『東日流外三郡誌』を新たに書き写したとされる。現在残されている『東日流外三郡誌』は、この末吉が作成した写本。末吉は書き写しに当たって原文の漢文調を読み下しに改め、自分なりの調査も足し加えた。
『東日流外三郡誌』編纂の協力者。津軽在住の神官。秋田孝季の妹婿。秋田家の『東日流外三郡誌』原本は灰燼に帰したが、和田長三郎の写本が代々和田家に伝えられたという。
出雲で虹人たちを案内したタクシーの運転手。通称渡(わた)さん。休みの日も好きで神社を回っているほど、神社に詳しい。
宍道町にある地名。船林神社の祭神であるアハキヘワナサヒコノ命が支配していた土地。