な    に    ぬ    ね    の 
 あ行    か行    さ行    た行    な行    は行    ま行    や行    ら行    わ行   参考文献 
 AI『竜の柩』  

奈穂美(なおみ)■竜上165■

この春会社に勤めはじめたばかりの二十二歳という。実は鹿角のスパイ。上山田温泉のホテルのバーで知り合い、東に頼んで諏訪まで同行した。順子と奈緒美は、上社の近くで虹人たちの車を降り、優紀に連絡を取った。虹人は敵を誘い出すために、下社から再び車に乗った二人に、わざと出雲に行くことを話し、宗像の電話番号を教えた。諏訪湖付近のホテルで二人が降りた後、虹人たちが車を探ると、予備タイヤの下に発信機が残されていた。

ナーガ■竜下14■

ヒンドゥー教の神名。「竜」と漢訳されたが、本来は中国の龍とは異なり蛇のことである。蛇神崇拝はすでにインダス文明において存在したと推測される。アーリヤ人は古来より行われた蛇神崇拝をしだいに受け入れ、半神の一つとみなすようになった。ヒンドゥー教の文献では、ナーガすなわち蛇族は、地底界に住むとされる。

仏陀はナーガ、すなわち蛇族の出身である。

ミャンマー国境に近いナガランドには、ナガ族という種族が住んでいてナーガの末裔と称し、独自の習俗を保存している。

長髄彦■竜上13■

『記・紀』において、神武天皇の大和平定に抵抗したと記載される人物。『紀』では登美(とみの)那賀須泥毘古(ながすねびこ)あるいは登美毘古(とみびこ)という。「トミ」とは、一般的には地名をあらわすと解釈され、『和名抄』にある「大和国添下郡鳥見郷」(奈良市富雄付近)であるとする説が多い。一方、吉田大洋氏は、大国主命の直系と伝えられる富(とみ)氏の系譜に、トミノナガスネヒコの名前があることから、「トミ」を富氏という出雲神族につながる名であると述べている。長髄彦とは、長いすねを持つ男性をあらわすが、先住民を土蜘蛛、八束脛(やつかはぎ)と表現するのと同様に、蔑視の意識があると言われている。これに対し吉田氏は、長髄彦の「ナガ」をインドの蛇神「ナーガ」に結びつくものであるとし、インドには現在でも蛇をトーテムとするナーガ族がいることを指摘している。

長髄彦の妹の登美夜毘売(とみやびめ)(紀・三炊屋媛(みかしきやひめ))は、神武東征以前に大和に天降っていた天津神(あまつかみ)の子・饒速日命(にぎはやひのみこと)の妻となり、物部氏の祖となる宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)を産んでいる。

『紀』では、長髄彦自ら饒速日命を主君としていることを語るが、『記』ではその記述はない。

『日本書紀』によれば、長髄彦は生駒山を越えて大和に入ろうとした神武軍を孔舎衛坂(くさえのさか)で撃退し、神武の兄・五瀬命を戦死させる。そのため神武軍は南に迂回して熊野に至り、吉野の山中を踏み越えて大和の宇陀に入る。長髄彦は再度神武軍と戦い、幾たびもこれを破るが、突然降り出した雹の中を金色の鵄(とび)が飛翔し、神武の弓の先に止まって稲妻のように光り輝くと、長髄彦の軍兵は目がくらみ、混乱して戦うことができなくなった。それでも長髄彦は戦闘を放棄しようとしなかったが、主君であった饒速日命に殺害されてしまう。饒速日命は長髄彦の軍勢を率いて神武軍に帰順する。

一方『古事記』では、二度目の戦いにの際に「長髄彦を撃とうとした時の歌」を記するだけで、饒速日命が長髄彦を殺害したという記述はなく、長髄彦の生死についても不明である。

『東日流外三郡誌』によれば、長髄彦は、兄の安日彦とともに、大和にある邪馬台国の国王であった。しかし、神武天皇率いる日向軍に敗れて、二人は津軽に落ち延び、まもなく津軽を制圧して、新たにアラハバキ族をなのった。「秋田系図」「藤崎系図」によると、安倍氏は安日彦の子孫である。

ナーサトヤ■竜下53■

アシュヴィン双神の別名。ミタンニ・ヒッタイト条約文に、インドラ・バルナ・ミトラとともに名があげられおり、前14世紀に小アジアにその名が伝わっていたことがわかる。

ナチス■竜上82・新上91■

津軽の山の中で蚊による拷問を受けた東は、髭面の男を「ナチスの生き残りのようなヤツだ」と評した。

映画『インディー・ジョーンズ』の話は空想ではなく、現実にナチスは聖櫃を求めて、エジプトを熱心に捜し歩いている。聖櫃の蓋を開いた人間たちが目も眩む光に包まれて瞬時にして命を奪われているため、聖櫃が原子エネルギーを用いた武器だったという解釈がある。それでヒトラーが最終兵器としての可能性を信じて聖櫃を欲しがった。

七つの顔を持つ男■竜下38■

映画俳優・片岡千恵蔵のヒット作『七つの顔』の「あるときは片目の運転手、またあるときは怪しいインド人、しかしてその実態は正義と真実の人多羅尾伴内」。

虹人がヴィシュヌの比喩に用いた。

ナニャドヤラ■竜上85■

戸来村一帯で唄い継がれてきた民謡。地元の人にも意味不明の歌詞だが、神学博士の川守田英二がヘブライ語だと説いた。「ナニャドヤラ・ナニャドナサレノ・ナニャドヤラ――お前の聖名をほめ讃えん・お前に毛人(もうじん)を掃討して・お前の聖名をほめ讃えん」

浪速■新上103■

一般には、波の速い海流の生じる入江だと解釈されているが、シュメール語で、「吉に通じる突破口」という意味の「ナム・バ」が語源だという説がある。

ナボボラッサル■新下235■

新バビロニアの王。在位、前625―前605年。ネブカドネザル二世の父。

カルデアに勢力をもっているだけの男だったがマルドゥクの加護を得て短期間にカルデア全土を支配下におさめ、廃墟同然のバビロンを復興させた。

波の穂■竜上124■

『古事記』に「御毛沼命は波の穂を踏みて常世国に渡り坐し」とあり、一般的には「波頭を渡って」と訳される。

山田久延彦は『真説・古事記』の中で、常世国とは地球以外の小惑星で、波の穂とは波の頂きのようにように円錐あるいは角錐形の人口造山であるピラミッドのことであるとした。

虹人は、単純にロケットの発射台、つまりカタパルトのようなものを連想するほうが形状的にぴったりくると話した。

ナム・バ■新上103■

シュメール語で、「吉に通じる突破口」という意味。「浪速」の語源だという説がある。

南祖坊■竜上48■

僧侶。十和田湖にいた龍を追い払って自ら十和田様という主となった。

南波弘道■竜上14■

宗像の秘書。四十才。群馬の桐生出身。SPあがりで、精悍な顔立ちをしている。痩せた体の全部が強靭な筋肉に覆われている。浅黒い。虹人には丁寧な応対をする。宗像をオヤジと呼ぶ。

top


ニコル■竜下66■

ソフィアのチームの、通称「蛇」のパスポートには、一応ニコルという名前が記載されている。

西宮えびす■竜下282■

夷信仰の総本山。『源平盛衰記』剣巻には、生後三年たっても足の立たない蛭児が海に流し捨てられ、摂津国に漂着して海を領する神となり、夷三郎殿として祀られたとされている。

虹人は鉄の異字体である「銕」から、夷について説き始めた。(参照)

ニシル山■竜上326■

『ギルガメシュ叙事詩』に描かれた洪水物語の中で、方舟が漂着した山。

新田四郎■新下97■

『吾妻鏡』に、建仁3年(1203)6月3日、源頼家の富士の巻狩りの際に、新田四郎忠常が人穴を探るよう命じられたとある。穴の奥に大河があり、波が逆巻いていて渡れなかった。たいまつで川向うを照らすと奇特が見え、たちまちに郎従が急死した。忠常は将軍から受けた剣を川に投げ入れて、翌日やっと戻ることができたと語られ、ここが「浅間大菩醍の御在所」であるという古老の話が付されている。

新田四郎の伝説を書いた草紙『富士の人穴』にも、甲賀三郎伝説にも、地底の世界が描かれ、浅間の神が関係している。そして徐福の記した地下王宮の所在地は富士吉田市にある浅間神社の真下であると虹人が指摘した。

丹塗矢■竜上128■

赤く塗った矢。丹塗矢は,蛇や剣とともに雷神の形象で、とくに人間の女性に通うときの姿である。賀茂、あるいは加茂また、鴨とも表記する系列神社の祭神である玉依毘売は、石河の瀬見の小川を流れ下る丹塗りの矢によって別雷命を生んだとされ、丹塗矢に化した別雷命の父は、乙訓神社の火雷神であったとされる。『古事記』にも、大物主(おおものぬし)神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に通う時に丹塗矢と化したという話が記されている。また、丹塗矢は鳴鏑(なりかぶら)と同じとされる。『貞丈雑記(ていじょうざっき)』に、鳴鏑の本の部分に赤漆を塗ると記されているためである。(大山咋命参照)

虹人は、玉依毘売命が丹塗矢に感精して賀茂別雷命を生んだとされる賀茂伝説について語る。(玉依毘売参照)

ニネヴェ■竜上326■

イラク北部にあるアッシリアの首都。大量の楔形文字の粘土板が発掘され、アッシリア学の基礎資料となった。スミスはニネヴェ出土の粘土板の中に、旧約聖書の「ノアの洪水」に酷似する『ギルガメシュ叙事詩』を発見した。

日本ユダヤ同祖説■新上89■

ユダヤ人と日本人は、祖先が同じであると考える説。

シュメールで兵士たちが担ぐ巨大な箱を見て、鹿角は証の聖櫃に似ていると指摘し、虹人は日本ユダヤ同祖説によれば、日本の御輿の原型だと言いながら箱を睨んだ。(証の聖櫃参照)

ニプル■新上110■

=ニップール。メソポタミア南部の古代都市。現在名ヌファル。古代シュメール地方の北部に位置し、シュメールの最高神エンリルの神殿エクルが存在していたことから、シュメールの聖地として崇敬の対象とされた。

牡牛のシャルケヌ軍がミサイルで攻撃した町。

ニントゥ■竜下222■

シュメール神話で、人類を創造した女神。ヒッタイト神話のハンナハンナに相当。

仁徳天皇■新下159■

応神天皇につぐ十六代の天皇とされる。『日本書紀』によれば、仁徳天皇65年、飛騨国(現在の岐阜県の北部)に両面宿儺が現れたという。

top


top


根の国■新下98■

記紀において「根の堅州国(かたすくに)」や「底根(そこつね)の国」などともいわれる地下世界。

スサノオは出雲を平定した後、根の国の支配者となった。一般的には根の国とは島根県と思われているが、単なる文字の類似にすぎず、記紀を素直に解釈すると地下世界であり、母の国である。虹人は、ムーから逃れた牡牛の一族が富士の裾野に王宮を建設し、そこが根の国だと考えている。

ネブカドネザル一世■新下225■

バビロン第一王朝滅亡後、全バビロニアを支配したカッシートは、エラム人に滅ぼされる。しかしエラム人はバビロニアに留まらなかったため、ニップールと並ぶ都市であるイシンの知事が王となりイシン第二王朝(前1157―前1026)を開いた。ネブカドネザル一世はそのイシン第二王朝の王である。在位、前1125―前1104。

ネブカドネザル二世■新下235■

新バビロニアの王。在位、前604―前562年。父王ナボポラッサルの後を継ぐ。ネブカドネザル2世の時代にバビロンは絶頂期を迎える。彼はシリア・パレスティナをエジプトより奪い、前586年にはユダ王国を滅ぼして住民をバビロンに捕虜として強制移住させた(バビロン捕囚)。世界七不思議に数えられる空中庭園やバベルの塔を建設した王としても知られる。

子供の頃から足掛け十八年間、マルドゥクの啓示を授かっていたという。一つは成長して王位を継承したらネブカドネザルを名乗ること。もう一つは王位を継承したらイスラエルを滅ぼすこと。晩年、自分の信じている神がマルドゥクでないと気づき発狂したという伝説がある。

眠るジプシー女■新上232■

ルソーが描いた幻想的な絵。砂漠に寝転んでいる人間の側にライオンがいるというもの。

虹人は作者名を思い出せず、鹿角が東に教えた。

ネモ船長■新上195■

ジュール・ベルヌの小説『海底二万マイル』に登場する潜水艦ノーチラス号の船長。(海底二万マイル参照)

top


ノアの方舟■竜上286・309■

『旧約聖書』「創世記」によれば、最初の人類の堕落のゆえに下される大洪水の難からノア一家を逃がすために、神は方舟の製作をノアに命じた。方舟は木造、方形の舟で、長さは約135m、幅は約23m、高さは約14mの三層構造で、外側はアスファルトで防水された。神はこの方舟に食料のほか、鳥獣などの生物を雌雄各二匹を入れることを命じた。洪水は150日に及び、方舟はアララト山に着いた。天窓が高くて外の見えないノアは、烏に続いて鳩を放ち、鳩がオリーブの若葉をくわえて戻ったので水の引いたことを知ったという。(ギルガメシュ叙事詩参照)

虹人は蘇民将来伝説をノアの方舟と共通する話だと指摘した。

信子の兄隆一の手紙には、ノアの方舟を捜しにアララト山に登ることが書いてあった。アララト山の頂(いただき)は万年雪に覆われており、ノアの方舟が腐らずに残っている可能性がある。百年以上前、トルコの軍隊が舟の舳先を見つけ、近寄ると三つの船室があったという。1916年、ロシアの探検隊が古代の舟の残骸を発見したと発表した。1955年、フランスの探検隊が山頂付近でアララト山には絶対生えていないオーク材の化石を発見した。1970年、アメリカの探検隊が山上にオーク材の破片が散在しているのを確認し、それはメソポタミアにしかない木で4000年以上前に伐採されたものだという。

マローン財団が資金援助したイタリア探検隊はノアの方舟を捜しにアララト山に登り、山頂付近の高原で隆一が百メートル以上ある「船」を発見した。ソフィの連絡で、ヴァチカンは探検隊のキャンプに雪崩を起こし、探検隊はソフィを除いて全滅した。

虹人はノアの方舟伝説を信じてはいない。アララト山は五千メートルもあり、地球の全ての水の量から計算しても、沈むわけがない。またアララト山という根拠がまるでない。ノアの方舟の元となった『ギルガメシュ叙事詩』ではニシル山とされ、この叙事詩でさえもっと古い時代の洪水物語の焼き直しと確認された。その物語には山の名前は記されていない

しかし、アララト山は古代から聖地と崇められている。『ギルガメシュ叙事詩』にはっきり別の山と書かれながら、聖書編纂者たちがアララト山にこだわったのは、舟という確実な証拠があったためだと、虹人は考えた。山頂に不時着した舟を見れば、空を飛ぶことを想像できない時代では、水がその位置まで上がったと考える他はない。五千メートルの高さまで洪水を引き起こさせる神の力の偉大さを示し、山から降りて来た自分たちを、神に選ばれた人間だと印象づけて統治するために、バビロニア神話を利用してノアの話を拵えたのだという仮説を展開した。

のうが高原■竜上119■

野貝山。広島県廿日市(はつかいち)市にある山。昭和59年『サンデー毎日』が「大追跡日本のピラミッド」と題して、リポートを行なった。多くの巨石群がある。

ノストラダムス■新上260■

南フランスに生まれ住んだ医師、占星術師。予言詩『諸世紀』(1555)の作者。

粘土板の文書が翻訳の過程で合理的なものに置き換えられる可能性の大きさを虹人は指摘し、翻訳する者の力によってまるで違う文章になる例として、ノストラダムスの『諸世紀』を挙げた。分からなくても文章をそのまま残しておけばいいのに、「人類は月の片鱗に到着する」という文章が、宇宙ロケットが発明されるまで、「人類は月の仇名を持つ女王の下に統治される」などと読み解かれていた。

野辺地(のへじ)■竜上208■

青森県東部下北半島の基部にあたる町。都母の石碑が残っている。(都母の石碑参照)

top