陸奥 (むつ)

【出典】 
【分類】 地名

東山道に属する大国(『延喜式』)。『延喜式』の規定では35郡を管し、国府は多賀城(現、宮城県多賀城市)にあった。
その設置は他の諸国と同様、大化改新後あまり時を経ない時期と思われるが、当時は「道奥国(みちのおくのくに)」と記した。
この「道奥国」という命名は東海・東山二道の奥、すなわち最末端に位置する国という意味で、南接する常陸国や下野国との国境は確定できるが、北方の蝦夷と相対する側の国境はつねに不確定であって、その領域をしだいに拡大してゆく可能性を初めから意図していたことになる。
この「道奥国」は676年(天武5)以前の時点で「陸奥国」と表記法が変わる。読み方は、正式の呼称「みちのおくのくに」、その約称「みちのくのくに」の他に、9世紀における漢詩文の盛行に伴って中国風に「陸州(ろくしゆう)」と表記し、さらに「六州」とも表記し、「むつのくに」の読み方が発生したと推定されている。
創置当初の道奥国はおそらく現在の福島県の全域と宮城県の南部を併せたものであったと推定される。その後山形県の内陸部や宮城県中部へと領域を広げ、712年(和銅5)山形県内陸部の最上郡、置賜(おいたむ)郡を割いて出羽国を設置した。718年(養老2)には福島県の全域と宮城県の亘理地方とが分かれて石城(いわき)、石背(いわせ)の二国が立てられた(2〜3年後に再び陸奥国管内に復帰)。当時おそらく宮城県の北部までを領域としたらしい。


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【参考文献】 

【登録日時】 2007/07/04 02:39
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