長髄彦 (ながすねひこ)

【出典】 竜の柩
【分類】 日本神話の神・人物

『記・紀』において、神武天皇の大和平定に抵抗したと記載される人物。『紀』では登美(とみの)那賀須泥毘古(ながすねびこ)あるいは登美毘古(とみびこ)という。「トミ」とは、一般的には地名をあらわすと解釈され、『和名抄』にある「大和国添下郡鳥見郷」(奈良市富雄付近)であるとする説が多い。一方、吉田大洋氏は、大国主命の直系と伝えられる富(とみ)氏の系譜に、トミノナガスネヒコの名前があることから、「トミ」を富氏という出雲神族につながる名であると述べている。長髄彦とは、長いすねを持つ男性をあらわすが、先住民を土蜘蛛、八束脛(やつかはぎ)と表現するのと同様に、蔑視の意識があると言われている。これに対し吉田氏は、長髄彦の「ナガ」をインドの神「ナーガ」に結びつくものであるとし、インドには現在でもをトーテムとするナーガ族がいることを指摘している。

長髄彦の妹の登美夜毘売(とみやびめ)(紀・三炊屋媛(みかしきやひめ))は、神武東征以前に大和に天降っていた天津神(あまつかみ)の子・饒速日命(にぎはやひのみこと)の妻となり、物部氏の祖となる宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)を産んでいる。

『紀』では、長髄彦自ら饒速日命を主君としていることを語るが、『記』ではその記述はない。

『日本書紀』によれば、長髄彦は生駒山を越えて大和に入ろうとした神武軍を孔舎衛坂(くさえのさか)で撃退し、神武の兄・五瀬命を戦死させる。そのため神武軍は南に迂回して熊野に至り、吉野の山中を踏み越えて大和の宇陀に入る。長髄彦は再度神武軍と戦い、幾たびもこれを破るが、突然降り出した雹の中を金色の鵄(とび)が飛翔し、神武の弓の先に止まって稲妻のように光り輝くと、長髄彦の軍兵は目がくらみ、混乱して戦うことができなくなった。それでも長髄彦は戦闘を放棄しようとしなかったが、主君であった饒速日命に殺害されてしまう。饒速日命は長髄彦の軍勢を率いて神武軍に帰順する。

一方『古事記』では、二度目の戦いにの際に「長髄彦を撃とうとした時の歌」を記するだけで、饒速日命が長髄彦を殺害したという記述はなく、長髄彦の生死についても不明である。

東日流外三郡誌』によれば、長髄彦は、兄の安日彦とともに、大和にある邪馬台国の国王であった。しかし、神武天皇率いる日向軍に敗れて、二人は津軽に落ち延び、まもなく津軽を制圧して、新たにアラハバキ族をなのった。「秋田系図」「藤崎系図」によると、安倍氏安日彦の子孫である。

竜上13

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【登録日時】 2007/06/27 13:46
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