安東氏 (あんどうし)

【出典】 竜の柩
【分類】 氏

北奥羽の豪族。

安倍貞任の子高星丸(たかあきまる)の後裔と伝えられる。

「安東・秋田氏系譜」によると、高星は三歳の時に、厨川柵から乳母の懐に抱かれて津軽に逃げ、やがて藤崎に城を築いたという。
安倍氏が安東氏を名乗ったのは、安倍の姓を賜わった安倍氏の祖先・安東(やすはる)の名に因んでという。
安東氏は、鎌倉時代には北条氏の被官となり、北条氏所領の代官(地頭代)を務め、蝦夷管領の代官として「蝦夷の沙汰」を行った。安東氏の勢力は秋田方面にも及び、秋田湊に居を構えて湊安東を名乗る一族もあらわれた。
安東氏の本流は、津軽十三湊(とさみなと)で「下国(しものくに)殿」を称し、また「日之本(ひのもと)将軍」を称して北条氏滅亡後、蝦夷管轄を担当したが、1432年(永享四)南部氏に追われて蝦夷地に逃れた。
しかし、のちに檜山(秋田県能代市)にもどり、檜山安東を名のった。
戦国末期に下国愛季(ちかすえ)が出て、秋田湊、檜山おのおのを拠点とする安東勢力を統一した。下国愛季の第二子実季(さねすえ)は、1589年(天承十七)居城を湊(秋田市土崎)に移し、秋田城介を名乗り、以後秋田を姓とした。


東日流外三郡誌』によれば、厨川の戦いから落ち延びた安倍貞任の次男・高星丸は、津軽に逃れて後に安東太郎と名乗った。これが、津軽安東氏の始祖となったという。(安倍一族


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【登録日時】 2007/06/24 15:57
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