『火怨』で第34回吉川英治文学賞を受賞
受賞会見
平成12年3月6日 銀座東急ホテルにて
受賞に際してのコメント
14年前に『総門谷』で新人賞を受けたが、その時の文学賞は井上ひさし氏と藤沢周平氏のおふた方。自分にとってはとてつもなく大きな存在であった。それから14年後、自らがその立場になったわけだが、もう受けてもいいのだろうかという気持ちがある。今、52歳でこれまで、書きたいように、いわば能天気に楽しく書いてきた。賞の名を穢さぬようにしたい。ただ自分は1999年で世界が終わり、今年からは余生であると思っていた。(笑) 推理物を含めいろいろ書いてきたが、歴史小説で受賞できたことはうれしい。
質疑応答
阿弖流為を主人公にした理由は
受賞作が『火怨』であったことはたいへんうれしい。田村麻呂に討伐された東北のいわば反逆者であるが、東北人にとってはひとつの基点になるものであると思った。話の内容から全国的な誌・紙面で掲載することは難しいと感じていたが、河北新報が受けてくれた。東北人さえ読んでくれればいいと思って1年半連載できた。 こうしてある特定の地域の話を選考委員の方が、ちゃんと読んでくれたと感謝している。蝦夷の魂が取らせてくれたのかもしれない。
資料はどうしたのか
蝦夷についてのものはほとんどなかった。朝廷側のものはある。『続日本紀』でもこの戦いについては欠落しているといわれる。だが、それは朝廷側にとって好ましくない戦いであったためかもしれない。自分としてはその欠落部分を復元した。およそ物語りのような戦さであったと思う。
阿弖流為と田村麻呂の友情はフィクションか
田村麻呂は朝廷側の武将だが、その後の東北で英雄視されているのは、そうした面があってのことではないかと推測した。
阿弖流為の側近の武将は
半分くらいの名は史実にある。この戦いは個々のものではなく、軍団としての戦であったので、歴史をねじ曲げたとは思っていない。
物語の最後で阿弖流為は味方も欺いた形になっているが
それは史実では読めないので、作らざるをえなかった。史料に残っている蝦夷の兵力などは少なく、かけひきがあったと考えた。
(『火怨』の)火にはどういう意味があるのか
東北には火焔式土器があり、その噴き上がるような模様と阿弖流為の生き方が重なってタイトルに(焔の字を変えて)した。
『炎立つ』との関係は
古代東北を舞台に中央政府に抗った人々は逆賊であるが、その復権を自分は物語(『風の陣』『火怨』『炎立つ』)のなかで果たしたい。
吉川英治文学新人賞を受賞した『総門谷』も新聞連載だったようだが
これも河北新報に掲載された。そのことはとても不思議だ。
吉川英治賞についてどう思っているか
吉川英治氏は私にとって手本であり、新聞連載もその内容こそ大きく違えどもいろいろ学んだ。
ほとんどの文学賞を受賞しているが
もう余生に入った身なので(笑)。発表媒体ごとに読者を意識して書いていきたい。
次は何を書くのか
今年は来年の大河ドラマ(北条時宗)の原作で手一杯だ。ただ、東北で育った自分はどうしてもそこにこだわりがある。(北条時宗は舞台が違うようだが、という問いかけに)今の時代、若い力が発揮されなくなっているが、そのあたりを念頭に置いて書いている。近代の東北についてはまだ手を付けていないので、いずれは書いてみたい。