タイトル | 『開封』読みました |
No | 3156 [関連ツリー] |
投稿日 | 2006/12/24(Sun) 15:00 |
投稿者 | 空天 |
まずは、めりーくりすますいぶ。
年末大掃除もほったらかしにして『開封高橋克彦』たった今、読了いたしました。 いやもう読んでいてにやにやしっぱなしでしたね。 他の作家さんの名前を出すのは恐縮ですが田中芳樹氏の名作SF『銀河英雄伝説』における『ユリアン・ミンツ作、師父ヤン・ウェンリー伝』といった風情でした。 特に作家デビュー前の浪人時代を描く視線に暖かさを感じます。 ただし男が読むとなかなか痛快な人生なのですが女性、特に主婦の方々の書評が気になります。 一度でよい、「あのお方」の奥方様による評伝を拝読したいと願うのは私のみでしょうか。
私はアテルイDVDの通販のとき初めて道又氏の存在を知ったのですが「道又」という姓を見て「ひょっとして桐生の出身なのかな」と思いました。
初投稿の時にも書きましたが私は「竜の柩」の南波弘道氏と同じく群馬の桐生の生まれです。 父方の祖父母は東京に暮らしていたのですが空襲で家は焼け、祖父は復員後間もなく亡くなり祖母と父の兄弟たちは色々と苦労しました。 そのとき「道又さん」という方のお世話で桐生での職と住まいを得ることができたそうです。 織物の町桐生は当時活況を呈しており祖母も工場で繭玉から糸を紡ぎ出す仕事をしていたそうです。 また有名な『君の名は』の真知子巻きが大流行したため桐生にはショールの注文が殺到し「真知子巻き成金」なるものも誕生したと聞きました。 祖母は今でも存命ですが道又さんへのご恩を忘れることなく今でも盆や彼岸には道又家の墓所にも線香を手向けています。
そんなわけで「道又 力」氏の名前を知った時、反射的に桐生との関連を思いつき「竜の柩」登場の切れ者秘書南波氏のモデルではと想像したわけです。 ところが検索してみると岩手県遠野市生まれと判明して当てが外れました。
しかし「道又」という姓はあまり聞いたことがない。 大型書店で分厚い名字辞典を紐解いてみましたが「道又」は載っていませんでした。 その珍しい名字が桐生と岩手にあるというのも何かの関連かと思いたくなります。 また義経北行伝説を調べると「岩手県下閉伊郡の道又元一氏の家には、「大般若 源義経筆 藤原長禎室津屋主」と書かれた包みがあり、中には、「大般若波羅密多経」の一部がある」という話も見つかります。 ちなみに桐生の周辺にも義経が落ち延びる時に通過したという伝説が残っています。 昔は「新田、足利といった源氏の本拠に隣接した桐生近辺を義経一行が通るわけねえだろ」と受け流していたのですがその後レポートの「桐生のレイライン」にも書いたように桐生と陸奥の関連が次々見つかりました。 日本海側は冬季雪に閉ざされるし太平洋側の街道筋は避けるとなると桐生あたりから渡良瀬川沿いの山間部を通り日光方面に向かうというのもありえるような気がしてきました。 まさにそのルート上に安倍一族の末裔が暮らしていたとあってはなおさらです。 あれ、そういえばACT9の九鬼虹人一行の大冒険も義経伝説の追跡が発端でしたっけ。
また私の悪い癖で道又さんの話から大脱線してしまいましたが最後にもう一つ。 江戸川乱歩賞の受賞作は講談社から出版されますが講談社の創業者、野間清治は桐生の出身です。
|